カテゴリ:演劇( 3 )

オレステスを観た

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エウリピデスによる2千年前の戯曲である。
「オレステス」は、事後の顛末を描いたような戯曲で、400年前のシェイクスピアによる「ハムレット」が、藤原竜也によって現代にもたらされた2003年の「ハムレット」ほどのカタルシスは、さすがになかった。

原始的な演劇に登場する人物の感情は、野太くストレートで
その怒りや悲しみを、鉛のように、重く舞台に降りしきる雨が打ち続け、会場全体を揺るがすように鳴るティンパニーが、力強く鼓舞する。
役者たちの演技は、おしなべてプリミティヴな太い線で大胆に描かれ
終始一定のテンションを保ちながら、荒々しく進行する印象。
藤原がハムレットで見せた、強弱、間断のリズムを駆使して
手繰っては寄せ、寄せては突き放すような繊細さは見られない。
現代に生きる若者たちが、演劇の原点を模索する姿に
演出家、蜷川幸雄の意図を見たような気がする。
自分の血肉を切り分けて、次の世代に伝えたい物
残さねばならない物としての「オレステス」。
ともすれば、観客が置いていかれそうになる驚愕のラストも
そう理解すれば出来ないことはない演出かもしれない。

その夜、これしかない!と確信して飲んだワイン。
ゼウスとイオの物語を思い起こさせる、思議な絵のエチケットだ。

マストロベラルディーノ・ヒストリア
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by henrri | 2006-09-16 12:04 | 演劇

ライフ・イン・ザ・シアターを観た

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役者として、黄昏時を向かえたベテラン俳優のロバートと
明けの明星のように輝く
若手俳優ジョンの2人芝居である。
2人の対照的な役者の日常を、劇場という媒体を通して
劇中劇を挟みながら、舞台裏のささいな出来事で綴っていく。
役者冥利に尽きる作品であると同時に
鏡に映すように、役者としての自分の姿が
見えてしまうこの芝居が、怖くて演じられない
と思う役者もいるだろう。

よく出来た脚本だが
日頃から、咀嚼されたドラマや映画を見慣れた人には
手ごわい芝居かもしれない。
殆ど長ゼリフはなく、特に、ジョンのセリフにはなんの重みもない。
藤原竜也の、華麗な長ゼリフや
爆発的なエネルギーを期待していった人にとっては
肩透かしに会った感が否めないかもしれない。

対極にある2人の役者は、お互いが持つ若さと老いとで
絶妙に、相手の輝きと衰退を、残酷なまでにあぶり出していく。
全ての感情は、セリフとセリフの間
行間の中に丁寧に織り込められている。
ジョンが一石を投じると、波紋が広がり
湖面に浮かぶロバートの小船を揺らす。
若く幼いジョンは、なぜ揺れるのかはわからないが
しだいに手加減するようになっていくのが見て取れる。
まさに、作用反作用の2人芝居を
市村正親と藤原竜也の、職人芸のような
珠玉の技で紡ぎだす。

芝居がはねた後の誰も居ないステージで
一人稽古をするジョン。
この時、劇中劇のセリフ以外
劇団員としてのジョンは、舞台袖にいるロバートとの掛け合いのみ。
ほとんどセリフらしいセリフを発しない。派手な動きもない。
長い、そしてわくわくする沈黙。
この沈黙にこそ、2人の感情がにじみ出て来るのだ。
舞台袖に隠れて見えないはずの
ロバートの小さく震える背中が、沈黙の中に見えてくる。

笑いは単なる芝居のエッセンスに過ぎない。
この芝居の最も重要なテーマは、舞台への敬愛である。
脚本家が、演出家が、すべてのスタッフが
そして、すべての役者が敬愛して止まない舞台への思いが
この芝居の中に凝縮されている。

鏡台、ドーラン、ブラシ、ティッシュ・・・
ロバートが、慈しむように
楽屋裏に散在する小道具を言葉にしていく。
まるで、シャボン玉を壊さぬように丁寧に
一つ一つ小道具たちの名前を呼ぶ。
何十年も、ドーランとホコリの匂いのする舞台袖で
暗闇の中、数え切れないほど
緞帳が上がる音を聞いてきた市村正親の
このセリフは重い。
同時に、自分が初めて降り立った劇場の舞台で
その3年後、取材を受けた藤原竜也を思い出す。
18歳の藤原少年は、「舞台の神様に怒られるから」
といって靴を脱ぎ、揃えてから裸足で舞台に上がった。
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by henrri | 2006-04-07 13:35 | 演劇

天保十二年のシェイクスピアをみた

モローと一緒に観たのが
井上ひさし作、蜷川幸雄演出「天保十二年のシェイクスピア」。
両氏共に、色んな演劇賞や勲章を何度ももらっている演劇界の重鎮です。
この人達の作品に触れて凄いなー、といつも思う事は
何度演劇賞をもらおうが、何個勲章をもらおうが
常に戦う姿勢を忘れていないこと。
それに執拗に拘泥しているところが、頑固なオヤジだなー
と、男としてちょっと憧れてしまいます。

そして、全37のシェイクスピア作品を
時に巧みに、時にこじつけがましく繋ぎ合わせて
壮大なエンターテイメントに仕上げたこの作品。
劇中、誰しもが聞き覚えのある有名なせりふや場面が出てきます。
両氏によって紡ぎだされたシェイクスピアは
爆発的なエネルギーをもって、鮮やかに観客の前に立ち上がる。
こういう活きのいい作品を目する度に
作者(シェイクスピア)がやりたかったことって
本当はこれだったんじゃないか?
という確信に近い思いが湧きあがってきます。
シェイクスピアのような、歴史的名作が生まれた時代背景
(宗教とか政治とか)を思えば
オブラートに包みながらの創作活動だったのかもしれません。
そういうくびきを取り払って、作品に自由を与えてやるとこうなるのかな・・・

最も印象的な場面。
冒頭、抱え百姓達がグローブ座のセットをぶち壊し
ステージを占拠してしまいます。
日に焼けた貧しい身なりの百姓達が、力強い歌声に合わせ
シェイクスピアの殿堂たるグローブ座の柱を切り出してしまう。
怒涛のラストに向かい、この芝居の本当の主役は誰だったのかを知った時
最も鮮やかに甦るシーンでした。
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<今日のワイン>
クロス・デ・トリーバス・クリアンサ
スペインの品種テンプラニージョで造られるピノルド社の赤ワインは、
コクがあってとても上品な香り。
コストパフォーマンスは最高だよ。
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by henrri | 2005-10-11 15:41 | 演劇